J-FOOT Jr.SCHOOL つかしん blog

尼崎・伊丹つかしんの子どものサッカー/フットサルスクールJ-FOOT Jr.SCHOOL U-6コーチのブログです。新米サッカー・フットサル選手と保護者の皆様、新米サッカー・フットサルコーチの頭の中・トレーニング理論・子育てについてなど忙しい父兄の皆様・選手や選手の卵たちに向けて出来る限り有益なことを綴れたらと思います。

子供時代サッカー(フットサル)が下手くそで練習のやる気もなかったコーチのサッカー半生②

こんにちは!

尼崎・伊丹の子供のサッカー/フットサルスクール、J-FOOT Jr.SCHOOL U-6コーチの三宅です。

今回は子供時代サッカー(フットサル)が下手くそで練習のやる気もなかったコーチのサッカー半生 - J-FOOT Jr.SCHOOL U-6 blogの続きです。

そんな理由で僕がゴールキーパーとして活躍しだすと競合が増えるんですね(笑)

この辺りの記憶は曖昧なんですが、小学5年生の夏場はまたフィールドプレーヤーをしていました。
バケモノみたいに上手なチームメイトの中でも特に巧い選手たちは6年生の試合に行っていたからです。

そんな巧い選手たちが抜けると、選手としてはチャンスなんですがチームとしてはなかなか勝てない。
難しい・しんどい状況だったことは覚えています。

一生懸命はやっていましたが、上手くなっているのか分からない。そんな日々でした。

そんなある日、試合に負けた罰として走らされている時に気持ちが切れたのか動けなくなりました。
身体的な理由ではなかったと思いますが、倒れこむように動けなくなったんです。

その時も「惨めだなぁ」と思いながら日陰かなんかで休んでいました。
ちなみに、これも含めて罰走している時に気持ちが切れて動けなくなったのがハッキリと覚えている中では6年生の時にもう1回ありました(笑)
そんな時の最後の紅白戦みたいなので、人数の兼ね合いもあったのでしょうがゴールキーパーなら出来るか?とコーチに言われキーパーとして参加しました。

するとスーパーセーブ連発(笑)

その日の練習終わりに「もう1回キーパーをしないか?」と今でも尊敬している抜群のモチベーターのコーチに言われて気持ち的にしんどい状況だったこと、大好きなコーチに言われたことが重なりまたゴールキーパーをすることになりました(笑)

小学6年生の冬くらいまではゴールキーパーとして一生懸命プレーしました。
ただでさえ僕からしたらバケモノのチームメイトがいるのですから、6年生の春にはチーム初となる尼崎市で優勝し県大会出場を決めました。県大会でも躍進し全国大会まであと1歩という準優勝で終わりました。

また秋にも県大会出場を決め、2季連続で県大会に出場するという快挙を成し遂げました。

高いレベルの試合となれば別でしたが、そこそこのチームでは相手になるチームはおらずゴールを守っていてもヒマ。。。
いつしかこのバケモノ達のようにプレーしたい!
このバケモノ達よりも巧くなりたい!

そう思うようになっていました。

そこで1学年30人を超える大所帯のチーム事情が幸いしAチーム・Bチームの2チーム作ることとなりました。
僕はAチームではキーパー。Bチームではフォワードとして出場することとなりました。

これが転機となっていつしか中学生になったらフィールドプレーヤー1本で行こうと心に決めていたと思います。

バケモノの中でもエース級の同級生はセレクションに合格しヴィッセル神戸やセレッソ大阪のジュニアユースに行くことが決まっていましたが、小学生の終わりころ、今のチームメイトが散り散りななるのは勿体ないということで市内のクラブチームと提携して皆でサッカーが続けれる場を作ってくださいました。

もちろん大多数はそこに行きます。
小学生の終わりころから中学生の練習に参加させてもらったり試合に参加させてもらったりもしていましたが、僕は違うチームを選びました。
チームメイトと離れる寂しさはありましたが、皆より上手くなりたかったからです。

僕が選んだチームは当時の3年生にU-15日本代表の選手などがいたこれまたバケモノばかりのチームでした(笑)

なんとか必死に練習に喰らいつき、まだまだ下手くそで粗削りではありましたが1年生の中ではチーム内得点王!イケイケでしたがまたまた挫折。

冬に行われた尼崎選抜(トレセン)の選考会で落選しました。
結構やれてる手応えはあったし、関西トレセンのコーチも褒めてくれていたからです。
普通に考えたらこれまで文章に起こしてきた経緯からは選考会に出させてもらえただけでもスゴイことだと思いますが(笑)
小学生時代のチームメイトは結構受かっていましたし、何より僕の落選理由がチームメイトのもう一人のフォワードより足が遅かったからです。(僕が遅かったというよりはその選手が中学1年生で50m6.5秒というバケモノでした)

それを機にホントにサッカーと向き合ってひとつひとつの練習やプレーをメチャクチャ工夫するようになりました。
それがキッカケでまた劇的に上手くなれました。

中学2年生の頃には、3年生の試合にも出ていたしキーパー以外のどのポジションでも必ずレギュラーとして出ていましたし中学生としては珍しくどのポジションでもそつなく出来る選手になっていました。

高校もサッカーで選べるようにもなっていました。

自分と一緒にプレーしていた先輩(結果的には後輩たちも)が毎年冬の選手権に主力として出場をしているのをテレビで見て僕もこの舞台に立つと信じて疑っていなかったもんです。
実際には僕の進学した高校は僕の代で大阪府代表となり冬の選手権に出場していましたし。

僕はというと自分で選んで進学した某強豪校では1年生でサッカー部を辞めて料理部に入っていました(笑)
1年生は校歌や応援歌の練習から始まるんです。。。
やってられるか!って感じで(笑)

ホントに天狗だったと思うし、辛抱ないなぁって呆れます。

高校1~2年は僕が元居たスポーツ少年団で指導していました。
当時は大した指導はできなかったと思います。

高校3年になるタイミングで、新設されるクラブチームの監督に声をかけていただき現役復帰しそれからは一度も辞めることなくアマチュアですが今もサッカーが大好きです。

僕もスクール生の皆に負けないようにまだまだ上手くなりたいし、上手くなれると確信しています!

とまぁ、技術的にも精神的にも挫折を繰り返したこんな僕がスクールコーチを担当させて頂いています(^^)

これからも色々と発信していきたいと思っていますが、サッカー・フットサルはホントに“人を育てる”と思っていますし僕自身やっていて良かったと思っています!

これからも“スクール生皆の人生を豊かにする”そんな気概で僕自身も色んなことを研鑽していきたいと思います!

だらだらと長文になりましたが、これからもよろしくお願いします。